出来なくて当たり前

子どもにはできないことが沢山あります。

 

自分ではなにもできない赤ちゃんから、少しずつできることが増えてくるので、すでに大人の親からするとできないことが沢山あるのは当たり前です。

 

初めて寝返りがうてた時、

 

初めてよちよち歩きができた時、

 

嬉しかったですよね~

 

その頃は出来ないことだらけなのに、穏やかな気持ちで子どもを見守っていたはずです。

 

なぜか小学生になると

ところが!

 

小学校に入ると、なぜか出来ないことばかり気になります。

 

明日の準備が出来ない

 

時間までにご飯が食べられない

 

宿題を自分で出来ない

 

机の上を片づけられない

 

部屋を片付けられない

 

いうことを聞かない

 

言わないと自分からやらない

 

気がつけば、口から出てくるのは、

 

はやく!

 

急いで!

 

ちゃんとしなさい!

 

なんで!?

 

言ったでしょ!

 

~出来なくなるよ!

 

~してあげないよ!

 

勝手にしなさい!

 

もう知らないから!

 

せかす言葉、叱る言葉、脅す言葉、捨て台詞…。

 

多くを求めすぎです!!

 

2歳から習い事

小学校から・・・どころではなく、

2歳から習い事をさせる、

 

3歳から勉強系の教室に通わせる、

 

子どもの本来の成長プログラムからすると、あまりにも人工的で危険な子育てをする方が増えています。

 

本来自由に遊びの中で、親子との何気ない日常の中で育っていく子たちが、

 

何かができること、何かを覚えること、何かの記録が伸びることを求められ、

 

出来ないことを責められます。

 

これは何も習い事や学習教室の話だけではありません。

 

家庭でも同じことです。

 

例えば小学2年生で習う「九九」。

 

 

ある時、幼稚園の制服を着た子がお母さんと手を繋いで歩いていました。

 

子どもが、

 

「さんいちがさん、さんにがろく、さんぱにじゅうし、さんしじゅうに、・・・」

 

と3の段を暗唱していて途中でつかえてしまいました。

 

それを、お母さんがものすごい形相で叱っていました。

 

本来、今やるべきとではない、出来なくていいことをやらせて、

 

出来なくて叱る。

 

 

調教ではなく子育てを

出来ない子どもが悪いのか、

 

出来ないことを求める親が悪いのか、

 

一度言って出来るようになるんなら、子ども時代はいりません。

 

出来るようになるまで、粘り強く言葉をかけ続けるのか、

 

一緒にやってあげるのか、

 

それとも、叱責し、恫喝し、時には手を出し続けるのか、

 

子どもの健全な成長を無視すれば、

 

怒鳴り散らし、暴力にうったえれば、早く出来るようになります。

 

でもそれは子育てじゃなく調教です。

 

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ

 

山本五十六の有名な言葉ですが、どうやら続きがあるようです。

 

話し合い 耳を傾け 承認し 任せてやらねば 人は育たず

 

やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば 人は実らず

 

初めて知りましたが、なるほどですね。

 

口で言って、出来ていないことを指摘するだけじゃだめってことですよね。