遊んだ記憶

感情まで再現できる子ども時代の記憶と言えば、楽しく遊んだことばかりです。

 

子ども時代に ”子ども” を存分に味わうことはとても意味があることだと思います。


子ども時代に、”大人” として生きさせるから笑顔がなくなり、老け顔・鋭い目つきの冷めた子になるんです。


夜21過ぎに塾カバンを背負った小学生の顔を観察すればよくわかります。


16時頃に下り電車で帰って来る私立小の子の力尽きた顔もなかなか考えさせてくれます。

 

小学生の頃は、帰ってから公園や空き地に集まって警泥(泥警)をしたり、かんけりをしたり、チャンバラごっこをしたり、メンコをしたり、コマまわしをしたり、いろんなことをして遊んだ記憶があります。

 

家に帰らず、朝礼台にランドセルを置いてそのまま校庭でサッカーやキックベース、野球をしていた記憶もあります。

 

秘密基地をつくって遊んだ記憶もあります。

 

初夏から秋にかけての虫取りは男の子にとって、最高級の娯楽でした。プラモデル作りも好きでした。

 

休日には自転車で40~50分かけて釣りに出かけました。

 

そこ(子どもたちの遊びの世界)に大人の姿はありませんでした。

 

褒められた遊びばかりではありません。

 

蛍光灯が落ちていたら割りました。

落ちたら大けがをするようなブロックの石垣を登って遊びました。

 

実際に登って遊んだブロックの石垣は、大人になってみてもなかなかの高さで、我が子が登ると言ったら止めると思います。(親の知らない間に無事にやっちゃって…)

冷蔵庫や洗濯機が浮いているようなゴミ貯池で、発泡スチロールを集めて板の下に入れていかだを作って遊びました。

 

かんしゃく玉を道路に転がして車のタイヤにひかせました。

爆竹をならしたり、ほぐして火薬を集めて火をつけて遊びました。

 

田んぼの中に入り込んでカエルやザリガニを捕まえました。

 

だから、見ず知らずの人によく叱られていたそです。(あまり覚えていませんが…)

 

鍵がついていたブルドーザーを勝手に動かして・・・(中略)・・・日本の警察は優秀だと感心した記憶もあります。

 

褒められないどころの話ではありませんね(-_-;)

 

習い事がある子もいましたが、週に1~2日のことで、毎日遊べないという子は少なかったように思います。

 

先日、母に

 

「昔って宿題あった?」と聞くと

 

「なかったんじゃない。覚えてない。」と言っていました。

 

あったのかもしれませんが、今ほど多くはなかったでしょう。

 

(単に私がやっていなかっただけ…?)

 

そして、家についたら文字通りランドセルを放り投げて遊びに行く子ばかりでしたので、宿題があったとしても宿題をやってから遊びに行くような子は少なかったでしょう。

 

子どもは遊びで育つ。

 

子どもは遊ぶのが仕事。

 

子どもは地域で育てるもの。

 

そういう昔の価値観が変わってしまいました。

 

旧ブログにも似たような記事を書いていました。

 

楽しい記憶  2013.3.6

すでに小学校を卒業して30年近く経ちますので、小学校の頃のことで覚えていることと言ったら断片的です。そしてほとんどが楽しかったことです。

その中でも、手足の感覚まで再現できるイメージ(記憶)といったらそう多くはありません。

 

○海キャンプで遠泳をしたこと

○スキーキャンプでスキーが滑れるようになったこと

○先生と友だちと休日に近くの川にエビや魚をとりに行ったこと

○千駄堀で遊んだこと…地元ネタですみません 今はこんな公園になってますが昔は整備されていなくて数少ない自然でした。ザリガニ、ドジョウ、カメを捕まえ、カエルのお尻に爆竹を…おっと(笑)

○発泡スチロールのいかだを作って池で遊んだこと

○空き地で秘密基地を作ったり、粘土を投げ合って戦争ごっこをしたこと

 

本気で楽しんだことばかりです。(苦い思いでも多少残っていますが…)こういう記憶って宝物なんだなぁと思います。

 

当時の習い事は「剣道(約2年)」「習字(約4年)」「そろばん(半年)」をやりましたが、楽しいイメージは残っていないのであまり思い出せません(笑)

 

そろばんは小4の時に「僕今日で卒業してきたから」と勝手にやめてきたそうですが、その記憶すらありません。よほど嫌だったんでしょう(^_^)

 

今の子どもたちは一生残る楽しい経験をしてるのかなぁ

自分の息子たちにはそういう体験をさせられているかなぁ

 

高速プリント計算の教室に3歳~9歳まで通い、幼児~児童期は毎日習い事で忙しかった中学生が「小3までの記憶はプリントがたくさん積まれていたことしかありません。思い出せないんです…」と言ったことが、どうしても忘れられません。

 

剣道はチャンバラの延長でやりたいと言ったんだと思いますが、1年でもう納得したのにもう1年、嫌々通わされたそうで、嫌な記憶だけ残っています。まぁ道具も買ってしまいましたからね…。

 

書道は嫌々でした。10枚のノルマをいかにごまかして早く帰るかを考えていたことしか記憶にありません。自転車で20分以上かかる遠い教室なのに、兄が早く終えて先に帰ってしまうので、それに間に合うようにと、いつも1枚どこかに隠して9枚しかやりませんでしたね。

 

それでも、遊ぶ時間が沢山あったのがリセットになっていたんでしょう。勉強もまるでしませんでしたから。

 

園児まで

幼稚園児、小学校低学年の子どもがスポーツ少年団に入っています。

 

子どもの応援という娯楽を親が楽しんでいるのではありませんよね。

 

親コーチが仕事のストレスを発散させているのではありませんよね。

 

指導者が、自分の虚栄心を満足させようと勝利を目指させているのではありませんよね。

 

毎週子どもの相手をするのが大変だから、お守をお願いしているのではありませんよね。

 

子どもが心からやりたい、嫌々練習に行くなんてあり得ない、好きで好きで仕方がないからさせているんですよね。

 

勝利至上主義ではなく、純粋にスポーツを楽しむためにやっているんですよね。

 

結果として、子どもたちから遊び場を、遊ぶ仲間を、遊ぶ時間を奪っていませんよね。

 

実体験の時間を、思考するエネルギーを、笑顔を、スポーツを楽しむ気持ちを奪ってはいませんよね。

 

スポーツを通じて健全な人間を育てているのですよね。

 

計算ドリルや計算プリントを使って「考える力」を育てているように。

 

ストレスの塊で危険な高学年の子たちが大抵スポ少・運動系の習い事と勉強を頑張らされているのは、ただの偶然ですよね。

 

 

 

 

 

同情します

サッカーがやりたいと思った時に、サッカーをする仲間がいなかったら。

野球をやりたいと言ったら、土日が練習と試合で潰れるようになったとしたら。

やってみて満足したのにやめさせてもらえないとしたら。

 

 

何かをしたいと思った時に何でも教室に連れて行かれて、試行錯誤をする機会を指導者に奪われて効率的に出来るやり方を教わってしまうとしたら。

塾まで園児から

低学年どころか幼稚園児まで塾のターゲットにされています。

 

小さい頃から塾通いが当たり前のようにしておけば、高学年で数百万円も稼がせてもらえるんだから、少子化のこの時代、塾は力を入れますよ。

 

中学受験塾でなくても、かなりの割合で小4~高学年から勉強がわからなくなりますから、普通の塾も小さい頃から来てもらいたいと手ぐすね引いて待っています。

 

あっ 私のところもね、年長さんから預かります。

でも、勉強は一切やらせませんし、お手本に合わせて練習をするなどということはしません。全てその子のオリジナルの思考回路を作る遊びの時間です。

 

さらに言えば、学校が始まっても宿題すら子どもにさせないようにお願いをします。そして、小6で卒業です。高校受験は自力で頑張ってねと送り出します。

遊びは大事。

IT企業で大学生の面接をしていた頃、大学の成績証明書の評価は8割以上が「優」(可がない)、大学生活で頑張ったことが「勉強だけ」という大学生がたまにいました。

 

普通に真面目で良い子たちでしたが、「勉強しかしてない、遊んでない、自分のやりたいことに取り組んできていない。」だから不合格でした。

 

企業の面接ではそういうことは珍しくありませんでした。

 

パン工場のラインでひたすら単純作業を続けるパート・アルバイトを採用するんなら別ですが、大卒の正社員に求められるのはそこではありませんからね。

FBに頂いたコメント

そして、毎週末試合で、こども達乗せて早朝から遠征よ~(´Д`)も~う、大変と、自分で作り出した忙しさに酔っているお母さんがいます・・・子どもは、ゲー今日はサッカーじゃん、メンドクセーとおっしゃってましたが?(・・;)

 

 

一生の楽しさの源を奪い去る行為が、幼児・児童期の「遊び」の略奪です。具体的にはパターン学習ですね。遊ばせているつもりの「習い事(スポーツも含む)」も、遊びを奪う方です。大事な自然を相手とした「遊び」を守るためには、逆説的ですが、「ストレスのかからない、高度な思考力養成ができる学習方法で思考回路養成を12歳までに完了する」必要がある。使いましょうよ、どんぐり倶楽部を。*読書も仕方によっては要注意対象になります。特に幼児・児童期の読書は危険。

 

 

私は子どもの頃野生児だったので、外遊びの楽しい記憶がたくさん残ってます。もちろんそこに大人はいませんでしたね。危ない遊びもたくさんして、怪我もいっぱいしたけど、幸せな記憶。でも、5年生でファミコンが我が家にやってきて、本当にきっぱりさっぱり、外遊びが途絶えました。今でもファミコンに取り憑かれた時の脳の状態をしっかり覚えています/ _ ;怖いですよね。大人になった自分を今でも支えているのは、もちろん楽しかった外遊びの記憶のほうです。子どもから自由な外遊びの時間を奪ってはいけない(奪うものを与えても同じこと)ですね、本当に。

 

>我が家にファミコンが来たのは中2でしたが、楽しく遊んだ記憶は殆ど残っていませんね。ドラゴンクエストは多少…(笑) あとは暇つぶしだったんだなぁと思います。今、3DSを持たされている子たちが大人になったら、何が残っているのか、知りたいです。自分で遊んだ経験こそ、人生の宝だと思いますね。

 

>宝物を持っていない大人が考え付くことは、何だと思います?「俺にはないものを、あいつは持っている!」という人生...。

 

もう一度子どもに戻って宝物を取り戻すことはできないのですよね。子ども時代の遊びの大切さをしっかりと考えて日々を過ごさなければ、と思います。

 

>ガラスの自信(速い方がいい)...完璧主義が作り出す幻影(「わかる」より「できる」)...価値のない他人の価値判断基準(テスト成績)...どれ1つ宝物にはなりえないものなのに、コレだけしか知らずに育った子供は、どうすればいいのか。...それでも、道は在る。のですよ。